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- 2023.12.26 Tuesday
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JUGEMテーマ:日記・一般
瀬戸内寂聴さんが今朝のテレビで言っていた言葉が心に残りました。
「人は死ぬために生まれ、別れるために出会う」
感想の中で、視聴率重視のテレビ業界への不信感があ りました。視聴率にかかわらず、やっておかなければならないことをやる。そのためには、今のメディアの中でどう表現すれば、放送に至ることができるのか、 企画を通すことができるのか、取材者、作り手としての力も磨いていかなければなりません。
社会にはさまざまな考え、職業、立場の人たちがいます。メディアの世界に身を置くと、力を持っていると勘違いしてしまうことがあります。高みから物事を見るのではなく、思いやりのある、優しい人になってください。
原発問題の是非を考えているうちに、以前本ブログで紹介した自然農法家の福岡正信氏がNHKの番組で言っていた言葉を思い出した。
「(前略)……あることに気がついた時から、もう自分の生き方は自然農法やって百姓になって生きていくだけだと。食って寝て生きておればいいという結論が出てしまったんですね。方法も……何もしない。人間の知恵を否定し、物に価値があるんじゃないと。人間が生産しているんじゃないんだと。自然が作っているんだ。草一本人間が作っているんじゃない。人間の知恵と力とは全く役に立っていないのだということに、25才の春に気づいた。
『便利な』というのはどういうことですか。便利なという言葉はそれを必要とする条件を作った時に便利なのであって、ここにおってメシ食って寝て果物食っておるんだったら何も、車は要らないでしょう。金儲けをしよう、他所に行きたいという時に必要なものだ。便利なというのはね、逆に言うと不便なことをこしらえてるということなんだ。不便だから便利なものを求める。本当は人間に不便なということは何もなかった。」
これは翁の言葉のほんの一部だが、文明、特に科学文明に対しての強烈な否定である。いろいろな意見はあると思うが電気やガスを一切使用しないで「豊か」な生活をしていた正信翁だから言える深く重い言葉である。